白百合姫伝説と石投げ地蔵嬢が塚

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 津久井三姫物語でもご紹介致しておりますが、津久井にはにまつわる伝説がいくつかあります。
 相模原市の白百合姫に関するご紹介です。

 陣馬山近くの明王峠には甲斐・武田家が武運を祈願したという不動明王があります。
 下記写真がそうです。

 

 その明王峠から南の藤野方面に通じる山道沿いを10分くらい下ったところに「石投げ地蔵」(女が塚)と呼ばれる場所があります。

  

 ※各写真はクリックすると拡大します。
 日本に多い石投げ地蔵のように、悪い人にお地蔵様が石を投げたと言う話ではなく、お地蔵様が立つ場所に、人々が石を積みあげたような、重ねるように投げた?ような「石の山」になっています。
 その為、石上げ地蔵とも呼ばれており、旅人がお線香の代わりに石を積み上げたものと考えれています。

 ではなぜ石が積まれたのか? この石投げ地蔵嬢が塚には地元に2つの伝説が残されています。
 1つは、甲斐・武田家にまつわる話です。

 戦国時代の1573~1595年頃に、甲斐・武田一族の出身とされるが、常陸の佐竹氏に嫁いだそうです。
 武田家の一族と言う事ですか、勝沼氏や小山田氏など親戚関係の武将の娘であると考えてよいでしょう。しかし、残念ながら、そのの名は、小生の力では及ばず、名前など詳細は不明です。(もし、ご存知の方がおられましたら、是非下記のコメント欄にでもお寄せ願えますと、非常にうれしく存じます。)

 嫁ぎ先の佐竹氏との間には1人の娘を儲けたようですが、その後、離縁となり、武田一族の姫は、娘を常陸に残して、甲斐に戻されたと言います。
 佐竹に残された娘は、乳母に育てられ、美しい姫になったそうですが、ある日、乳母より本当の母の事を知らされると、甲斐の実母に会いたくなり、乳母と共に父に願い出て、従士3人と乳母など5人で、甲斐へ旅立ったそうです。
 戦国時代、敵対する地を旅すると言う困難の中、ようやく晩秋にあとひと息進めば甲斐の国と言う、高尾山の地までやってきましたが、ある時は木の実を食べ、ある時は沢の水だけで空腹を満たすと言う、過酷な旅となったようです。
 そんな中、関東平野を横断して、最初の山岳地である高尾の明王峠まで辿り着きましたが、旅の疲れか食中毒かわかりませんが、姫は腹痛を起こし、草むらに倒れてしまったと言います。
 乳母は驚き従士を村里へ助けを求めに走らせて、姫を賢明に介抱しますが、姫は苦しむばかり。ついに乳母が姫を背負って峠を降り始めます。
 しかし、まもなく姫は急死してしまいました。「母上様」と呼び息絶えたとも言われています。
 姫の亡骸はその地に手厚く葬られ、供の者などは姫の遺髪を持ち、どこかに去って行ったと言います。
 その後、武田一族と佐竹家の子孫が、この地をお参りし、小さな地蔵を建てて供養したのが嬢ヶ塚(じょうがつか)、(地元では女が塚と呼ばれる事も)であり、また、村人やこの峠を往来する旅人が線香の替りに「石」を供えたのものを石上げ地蔵又は石投げ地蔵と呼んでいます。 

 もう1つの伝説では、嬢ヶ塚(じょうがつか)は佐竹の姫ではなく、地元の姫の最後の地とされています。
 明王峠のすぐ東側の比較的平坦な場所に「長者屋敷」と言う地名が残されており、その屋敷に美しいお姫様が住んでいたと伝わっています。
 そのお姫様は馬に乗る事が好きで、毎日、陣場山や景信山、明王峠付近を馬で乗り回したそうです。
 しかし、いつものように馬に乗っていると山伏の手にかかって弓で射られてしまいました。姫は山中で憐れな最後をとげてしまったのです。
 その、お姫様が倒れたその場所を「嬢ヶ塚」と言い、またその近くには「矢の音」と言う、弓矢にちなんだ地名も残っています。
 ただし、行ってみて初めてわかったのですが、石投げ地蔵(嬢ヶ塚)がある場所は、かなりの急坂の山道でして、とても馬が入りこめたとは思えません。

 → 2つの白百合姫伝説を検証

 > 津久井三姫物語

石投げ地蔵に行ってきました

 ←陣馬山への登頂からの続きです

 と言う事で、陣馬山をあとにして石投げ地蔵へ向かう為、まずは奈良子峠を目指します。

 

 陣馬山からはだいぶ下がるような感じです。

 
 
 しかし、尾根の一本道でわかりやすく、迷う事はありません。

 

 途中、すれちがうハイカーさんと挨拶を交わしながら、約30分で奈良子峠です。

奈良子峠

 奈良子峠には分岐の標識だけで、他にはベンチすらない、小さな峠です。

 

 奈良子峠の次は、いよいよ明王峠ですが、若干の登りとなります。
 こんな僅かな登りでも、いつも憂鬱になります・・。

明王峠

 明王峠はなかなか雰囲気が良く、売店と小さなトイレがあります。
 トイレは私設ですので、設備はそれなりですが・・。

 

 しかし、売店は閉まっていました。
 ここで飲み物を買おうと思っていましたので、あてが外れてしまいました。

 

 陣馬山も売店が開いてなく、明王峠もでしたので、持参したポカリの残りがとても貴重に思えます。

 

 素人的な考えなのですが、山の売店は、休みの日とか、営業時間とか、死活問題にもなりますので、できれば事前にわかるようにしてもらえますと、非常に良いと思うのですが、なかなかそのようにはいかないものなのですかね?

 

 しかし、本当に雰囲気がよい、適度な大きさの峠でして、PM2.5なので写真ではわからないと思いますが、富士山の展望もあります。
 でも、なんか違うような違和感が?

 そうなんです。
 ここを峠と呼ぶのはおかしいのですね。
 藤野駅方面に降りて行く登山道の分岐はありますが、明らかに登ったうえにある「峰」です。
 すなわち「山頂」なのです。
 と、言うのも、昔の明王峠はここではなく、このあと行く底沢峠が、明王峠と呼ばれていたようです。

 

 上記は、このページ最初にも紹介した、明王峠の不動明王です。

石投げ地蔵

 白百合姫伝説の石投げ地蔵は、この明王峠から藤野駅方面へ分岐した登山道の途中にあります。
 事前に下調べした時にわかっていたのですが、明王峠から階段を約15分ほど下がったところが石投げ地蔵なのですが、実質下りは5分で到着しました。
 道は整備されています。なお、意外だったのは坂道の途中にあったことでした。
 標高を実測してみますと652mです。明王峠が標高739mですので、高低差は87mもあります。
 石投げ地蔵の写真はこのページ上部でご紹介しましたので、ここでは省きますね。

 

 さて、石投げ地蔵から明王峠へ戻るのには上記の階段を15分も登った訳ですが、今回の行程で一番きつかったです。
 下ったあとに、また登るのは、本当に無駄に思えてならず嫌いです。(^-^)

 →第3部・底沢峠~長者屋敷跡~堂所山に続きます

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