タグ:津久井城

  • 功雲寺と津久井城主・内藤氏の墓 訪問記・駐車場など

     津久井城からほど遠くない所にある、功雲寺(こううんじ)に行って参りました。    新編相模国風土記稿によると、功雲寺は、戦国時代の津久井城主・内藤景定(内藤左近将監景定)が、1534年3月20日卒、功雲寺の…
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  • 首塚(富士塚) 津久井城落城の際に北条勢の首を祀った地

     1590年、津久井城が落城した際、北条家の家臣らの首を埋葬したのがこの「富士塚」とされる。 (さらに…)…
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  • 相模原の戦国時代の城郭・史跡ヒストリア-訪問記・写真付

    相模原の「戦国ヒストリア」と称して、相模原市内の戦国時代における史跡・城などを写真と解説付きで、アクセス方法・行き方・駐車場情報・観光所要時間なども交えてご紹介させて頂きます。 相模原で勉学に励んでおられる小学生や…
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  • 自説・津久井に入った御家人と津久井城を築いた武士団

     1213年和田合戦で三浦一族和田氏に加担した横山党は和田氏と共に滅亡することになる。  横山党の旧領地である横山庄(現在の八王子市周辺)は、和田合戦の恩賞として、執権・北条氏の息がかかる検非違使・大江広元(おおえのひ…
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  • 津久井城と矢部氏の足跡 (3)  津久井城の開設者とされる津久井為行

     津久井城の開設者とされる津久井為行  津久井為行には、3人の息子がいたとされ、その名を矢部義郷、二宮義国、平塚為高と言う。  まずは次男の二宮義国から検証する。  1213年の和田合戦前の時代、八王子を中…
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  • 津久井城と矢部氏の足跡 (2)  津久井氏を検証

    津久井城を築城したとされる津久井為行 相模原市の津久井に館を構えたのは、鎌倉時代初期の「津久井為行(筑井為行)」で、その津久井氏の名前が地名になったと言う説がよく見かけられ、津久井城のコーナーでも紹介させて頂いた。…
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  • 津久井城と矢部氏の足跡 (1) 矢部氏との関連

     相模原市矢部の地名でもある「矢部氏」は、鎌倉時代初期に横山党の一族として「和田合戦」に和田側として参戦し、討死したと言う説がありますが、同じく横山党で討死しその後名前が出てこなくなった小山氏、田名氏などと異なり、後世に…
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  • 相模原の牧野で帰農した今川家一族 蒲原徳兼

    蒲原徳兼(神原徳兼、かんばらのりかね) 神原三郎左衛門 (生年?、没年?) 蒲原徳兼(神原三郎左衛門)は元・今川家の一門衆でありながら、江戸時代初期に、相模原市の牧野にて帰農した武将である。 蒲原氏は藤原南家から…
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  • 白百合姫伝説と石投げ地蔵嬢が塚

     津久井三姫物語でもご紹介致しておりますが、津久井には姫にまつわる伝説がいくつかあります。  相模原市の白百合姫に関するご紹介です。 (さらに…)…
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  • 又野城(又野城山) 津久井の謎の城を特定してみた

     相模原市の津久井城に近い津久井又野に城山(245m)と呼ばれる場所があります。  又野城山とも呼ばれます。  天然の要害地形であり、相模川と道志川の合流点である沼本の渡しから三ヶ木へと津久井街道を登ってくる敵を…
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