照手姫は実在したのか?

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 小栗半官の物語では

 照手姫の父は相模国・横山氏(横山党)とする話(美女と信じさせるため、小野小町にあやかったのか?)
 小栗判官を盗賊から助けた遊女が照手だったとする話(姫とは呼ばない)
 照手姫は下野国(しもつけのくに)日光山の申し子で、横山氏が預かっていた(巫女だった)

 と、照手姫の存在は3つに分けられます。

 また、照手姫の名前も、照手と呼び捨てにするものから、照姫、照天と呼ぶものもあります。

 実際に起こっていた史実とされる遊行寺に残る話を見ると、
 小栗満重の子、小栗助重は涙を流し城を捨てて、主だった家臣10名と共に一族がいる三河国に落ちて行く途中、相模国藤沢宿(藤沢市)で豪族の家に泊まったところ、この豪族は小栗助重の持参していた金品を奪おうと、毒殺をもくろみお酒に毒を入れて宴席を用意し、何人かの遊女に舞をさせたところ、毒殺計画を知った遊女の一人・照天(しょうてん)が、その宴席で舞をまいながら、同じ歌を繰り返し歌って、お酒に毒が入っていることを小栗助重に伝えたと言う話があります。
 
 この毒殺計画じたいが、本当かどうか、今では知る方法はありませんが、この話は、暴れ馬も出てきませんし、遊女は照天(照手)だとしていますが美女だとは一言も記述がないなど、まだたくさん脚色された内容ではありません。毒殺され死んでいませんので、生き返ることもないですし、敗戦の武将ですので、逃亡途中で恋愛しては家臣にも示しが付きませんし、そんな余裕も当然なかったはずですので、恋にも落ちていません。
 小栗助重が三河に逃れたのは事実とされていますので、その道筋として当時東海道にあった藤沢を通過する際に、地元の有力農家又は味方の武士宅に小栗助重が宿泊したと言うことは充分考えられます。小栗助重は、その後活躍が認められますので、実際、相模国で死んではいないはずです。

 遊女が小栗と言う武将を救ったと言う、この毒殺未遂事件を元に、当時、時宗総本山だった藤沢の遊行寺の僧侶が説経節として、様々に脚色した物語を作り出したと考えると、大変自然に思えます。
 
 その為、毒殺未遂の話に出て来る藤沢の有力者が本当に横山と言う名前だったのかも知れませんし、あとから考えて横山氏(横山党)になったのかも知れません。

 また、別の伝説によると、照天は小栗判官が病気で亡くなると剃髪(ていはつ)し、長照尼(ちょうしょうに)を名乗って、藤沢の遊行寺に入り冥福(めいふく)を祈ったと言われています
 その為、遊女の名は、照天(又は照手)で、実在したことも考えられます。毒殺を防止した遊女は地元有力者のいる藤沢にはいられなくなり、西国に売られていったエピソードが、物語に反映されたとも予測できます。そして、より話を面白くするため、当時関東でも美女として伝説になっている小野小町と同じ「美女」を物語りに出す為、小野小町を排出した血筋でも知られていた相模国元豪族・横山氏の名前がでて、横山氏の美人娘として遊女が照手姫となり、最初から遊女では話がおかしいので、西国に売られて遊女になったと、実話から脚色し、小栗判官が惚れたと言う事にする、壮大な恋愛物語が作られたのではと、小生は考えます。
 その後、江戸時代になり、遊女に希望の光を与え、励みになる話にとも変化して行ったの物語りもあるように、その土地に適した内容にどんどん作り変えられていったと考えることが出来ます。
 仮にそうだと仮定した場合、照手姫は美女ではなかった可能性があります。また、照手と言う女性ではなかったとしても、話の元になった若い女性がいたことが想像できます。
 ただ、残念ではありますが、小栗助重が相模原市の横山を訪れた件は、史実としては非常に可能性が低いと考えられます。小栗助重は、その後活躍が認められますので、実際、相模国で死んではいないはずですし、実際問題として相模原市横山に、横山氏の屋敷があったと言う記録や遺構は全くありません。

 相模原に伝わる話では、いずれも照手姫が親である横山氏の言うことを聞かず、小栗判官と結婚することになり、それに怒って殺害した言う設定になっており、その他の地域に伝わる盗賊とは少し違った表現になり、殺害目的が異なる話になっています。そのことからも、江戸時代になって相模原の上溝周辺において、誰もが知っているような小栗判官の物語に出て来る照手姫が使ったと言う産湯を使えは美女の子供に育ち、懸命な人間として育つぞなどど、相模原の良いところとしてアピールする為に、他の村からお嫁さんが上溝に嫁ぎたいと思わせようと話を作ったと、小生は突拍子もないことを考えてしまいます。

 無量光寺では何度もあった火災により古文書が失われています。もし、火事がなければ、藤沢の遊行寺に負けない照手姫に関する資料が残っていたかも知れません。

 参考

 ウイキペディア、相模台中央商店街HPなど


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コメント

    • 矢口 とおる
    • 2015年 5月 31日

    語り方教室に通って、そこで照手姫伝説を勉強させて頂いております。貴稿も十分に参考にさせて頂きました。 有難うございます。実は東林公民館で元NHKのアナウンサーで、京都の局長も務められた飯田白馬氏が講師で(息子さんが前区長)朗読の為の勉強教材に制作・編集等を行い地域活動に活用、町づくりセンターの協賛も頂き会を運営しております。
     組織としては学校形式をとり「めだかの学校」としております。

    前置きはさておき、御説の通り照手姫伝説は幾通りもあり、当初途方にくれましたが、宗教的な内容については
    別の機会にする事とし、結果的に戦国時代の悲劇としての物語 上溝の照手姫伝説 に焦点を当てる事にしました。
    平和時にして戦乱を忘れることなかれ と言うのが 取り上げた最大の目的でした。
    「照手姫の里を訪ねて」と言うテーマで現地の写真をベースにDVDにて上映、案内を朗読によりご披露し、小学校や
    老人会で開催しております。  今後何かとお世話になる事もあるかと思いますが、何卒よろしくお願い申し上げます。
     

      • 高田哲哉
      • 2015年 5月 31日

      矢口様、この度はコメントを賜りまして、深く御礼申し上げます。
      ご苦労も多いかと存じますが、素晴らしいお考えにて、照手姫などの伝承を広めると言うご活躍をなさっておられるご様子で、感服致しております。
      また、貴重なご意見など賜りまして、うれしく存じております。
      姥沢の聖源寺は、横山将監の館に隣接していたとされていますが「鏡の泉」と言う湧水が、僅かに残っている模様です。

  1. 2015年 4月 16日

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