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 大久保教寛(1657年~1737年12月17日)は、老中で小田原藩主・大久保忠朝(1632~1712)の次男で、1706年10月15日、江戸城西の丸の若年寄に就任し11000石になり分家。松永藩(のちの荻野山中藩)初代藩主となった。

 1718年3月3日には更に5000石加増され合計16000石。
 18年間と比較的長期にわたり若年寄を務めた。

 大久保教寛は、跡目の大久保教端(1733~1755)に13000石を継がせて、その弟・大久保教平に3000石を分知した。

 1730年11月27日に大久保教平に分知した所領は、妻田村・及川村(現在の厚木市)・半縄村(現在の愛川町)、座間宿村(現在の座間市)などがあり、その時、磯部の一部(43石)、当麻の一部(282石)も分知された。

 日本の歴史 武将・人物列伝


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