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 相模原から道志に繋がる、道志川沿いにあたる、藤間町牧野にある相模湖カントリークラブと、道志川に挟まれた山頂539mにある山城が伏馬田城、伏馬田峠、尾崎城、菅井の城山、尾崎掃部助城、尾崎峰、尾崎山、鐘撞丸とも呼ばれます。

 この山城は、北条勢津久井衆の一人で、日連村に6貫200文を知行した尾崎掃部助(かもんのすけ)が守っていたようで、北条氏に関する書物では小崎彦六(尾崎彦六)と言う名も見られます。

 1536年武田家臣・小山田氏の部将・小林刑部が秋山口から侵入し、青根の足弱(女・子供)を100人ばかり拉致しています。この「青根」とは伏馬田城のこととされているようです。

 伏馬田城は比較的緩やかな西斜面を除いて他の三方は急崖で、頂上には細長い尾根が延び、平坦部が三段続いています。最上部の主郭の下は帯状の郭となっており、北部には堀切があります。

 道志川に沿って甲斐へ至る往来を監視するのに絶好の場所でもあり、東方には津久井城を望める展望台もあり、烽火台としても使われていた要素が高いと考えられます。

 (下記写真は伏馬田城への尾根から津久井城方面を望む)

 

 2012年にすぐ近くを訪れる事となり、登山して参りました。
 菅井地区にある「仁の丘」と言う貸農園(標高400m)からの登山道から入りました。険しい急な山道で、心臓バクバク、息も荒くなりましたが、最近整備されたような登山道となっていました。
 約15分で尾根に出て、右折すると3分くらいで山頂です。
 尾根からは津久井城仙洞寺山烽火台も望めますので、烽火台として機能させ、地元の菅井地区などの武者が担当していたと容易に推測できます。
 菅井地区と、伏馬田地区が城下町のような要素だったと推測できますが、ほんとうに山の中の小さな集落です。
 山頂には水場はないので篭城には不向きですし、いつ通るかわからない敵を監視すると言うよりは、烽火台の要素が高かったのでしょう。

 伏馬田城主尾崎氏の子孫「尾崎行雄」の話も、是非ご覧ください。

 

 伏馬田城への行き方(アクセス)ですが、登山道は東海道自然歩道から登る方法と、城の南側から急峻な崖を登る方法など3つくらいあります。
 私が取った方法は、仁の丘(農園)の駐車場に止めて、畑の南側にある崖淵(仁のロケ撮影の場所)から南東へ入って入って、登って行く登山口から訪問致しました。
 私は、仁の丘を借りているので問題ないのですが、農園と無関係の方がこの方法を取る場合、土日祝は当然ながら農園を訪れる方の車優先ですので、平日以外はできる限り路線バスにてご訪問お願い申し上げたく存じます。

 

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