奥牧野城山(奥牧野城)と、牧野の戦い・相模原の古戦場

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 神奈川県と山梨県との県境、相模原市の藤野町奥牧野のある平城。
 平城と言っても、その周りは山間で、平らな土地は少ないところです。

 秋山川がS字型に蛇行する標高278mの小平地が「城山」と呼ばれ、昭和始めまでは土塁が南北に走っていたそうです。
 奥牧野城山(奥牧野城)の西側・北側・南側を秋山川が蛇行して流れ、天然の崖となっており、対武田として見ると、北条勢側の防御体制としては、大変良い立地です。

 

 上記は奥牧野城に繋がる、秋川渓谷のつり橋です。
 発見ニッポン城めぐりでも、奥牧野城は攻略対象となっています。

 奥牧野は、甲斐から相模に至る秋山口にあたり、さらに津久井を結ぶ青根街道が通じている為、相模国防衛の最前線として、小田原北条氏が築かせた城であると考えられます。

 戦国時代に武田信虎と小田原北条家が、ここ牧野で合戦したと言います。
 北条氏綱の時代だと思いますが、北条勢の武将名は伝わっていないようですので、この牧野城の攻防があったのかも知れません。

 

 武田勢は、戦死者一古沢犬橋に埋葬したと言います。
 そう考えると、武田信虎は舞鶴峠を越えて、鎌倉街道と呼ばれる県道35号を東に侵入し、牧野に至ったのでしょう。
 北条勢は、船久保の地に埋葬したと言い、上記写真の奥牧野城山(奥牧野城)の東端に塚(笠松塚、傘松塚)では、鎖帷子などが出土したと言います。

 

 城跡の南方には、日帰り温泉の秋山ネスパがありますよ。
 また、この付近には雛鶴姫伝説や、牧野で帰農した元・今川家家臣の蒲原得兼の話も別途ご覧頂けますと幸いです。

 以下、写真連発で行きます。クリックすると拡大します。

 
 
 

 武家屋敷などの地名も残っているとか。

 

 一番ビックリしたのは、こんな山深いところにも拘わらず、城域が想像していたよりも、かなり「広い」と言う事です。
 ざっとみて5000名は入れたものと推測します。

 

 上記が主郭と思われる平坦地です。

 

 上記の道が、牧野から青根方面に行く、鎌倉街道だったのかも知れません。
 もし、情報ご存知の方がおられましたら、コメントでご教授願いますと幸いです。

 行き方ですが、バスは本数が少なくちょっと困難かと存じます。
 車の場合、駐車場はありません。県道35号沿いに止めるしかないのですが、神奈川県と山梨県の県境の道路・路肩には、なんとか2台くらい止められそうなスペースがあり、短時間駐車させて頂きました。
 なお、バスや大型車も通りますし、スピードも出していますので、カーブに止めるのは大変危険です。絶対に止めないでください。自己責任です。
 下記の地図の場所が、城域への入口付近です。

下記写真のところから、脇道を降ります。

 

> 相模原の戦国時代ヒストリア


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