国指定・田名向原遺跡 (相模原の遺跡)

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国指定・田名向原遺跡  約20500年前

、国指定史跡としては日本列島最古の部類の建物跡もある約20500年前の遺構。
 相模川左岸の比高11mの低位段丘上に立地している。遺跡の川寄りでは水成層の堆積がみられ、後期旧石器時代には相模川の川岸に位置していたと推定される。
 住居状遺構は直径約10メートルの円形の範囲を円礫(川原石)で囲んだもので、円形の内部からは柱穴12基と焚き火跡2箇所も発見された。また、二次加工をともなう剥片や大量の母岩・石核も集中して見つかっており、旧石器時代人の石器製作の場としても利用していたことが推定される。また、槍先形石器の石材には黒曜石が用いられ、石の成分から推定したところ、多くは長野県産で、その他に伊豆・天城産・箱根産もあるなど、当時より遠隔地との交流があったことも示唆される。成形された石器には尖頭器193点のほかナイフ形石器50点あまりの出土があった。  相模川の川辺に接していたと考えられることから、サケ・マス類の季節的・集約的な漁場につくられた半定住住居として使われていたものと推定される。
 なお、別の説では、集落から離れて孤立していることから、産卵のため相模川を遡上してきたサケをとり、燻製などに加工する作業小屋跡と考える説もあるようだ。
 いずれにせよ、住居状遺構は炭素測定値で約17600年前、暦年較正値で約20500年前とされている。
 また、付近には相模原では貴重な古墳なども見られる。
 史跡田名向原遺跡公園として開園しており、旧石器時代をテーマにした「旧石器ハテナ館」が無料見学可能な他、旧石器時代の住居跡が1、縄文時代の竪穴住居が1、古墳時代の小円墳が1つ復元されている。

 

 

旧石器時代の生活

 約20000年前~約18000年前はベェルム氷河期の最盛期であり、この頃の日本列島の平均気温は現在よりも-7℃でシベリア並の寒さ。雪も良く降り、海面は現在よりも約100m低かったと考えられる。当時の相模原では草原と亜寒帯樹林、針葉樹林が広がっていたようだ。また、この頃日本では火山活動が活発で、関東ローム層ができるなど、火山灰なども度々降ったようである。(氷河期の終わりは12000年前)
 基本的に狩猟採取生活である。大型動物としてはナウマンゾウ、オオツノシカや野牛などを狩猟するため、小さな集団を作り、川沿いを中心に移動しながら、創意工夫を凝らし狩りをする生活をした。その他に、クリなども採取していたようだ。
 そのため、定住すると言う感覚は無く、短期間滞在するために簡単な小屋掛けをした住居を作ったり、洞窟や岩陰を住居として利用していたと考えられる。
 集団同士が偶然出会うと、石器造りなどの情報交換の他、食べ物を分けたりもしていたと考えられる。

 

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