カテゴリー: 相模原の歴史

相模原の蚕影山神社と金色姫

 相模原市田名堀の内に「蚕影山神社」があります。 また、田名には蚕影山の金色姫の木像が祀られているお堂もあります。 大島の大島諏訪明神(大島諏訪神社)にも「蚕影社」、城山町原宿にも「蚕影社」、藤野町にも蚕影信仰があり、その蚕影神社のルーツを...

相模国最古級の有鹿神社と勝坂遺跡

 相模原にもすごい歴史を持つ神社があった 約1万年前に氷河期が終わり温暖化となり、豊かな縄文時代に入った。 相模原の各所にも縄文時代の遺跡が発見されているが、その中でも60軒以上の住居跡が発見されている「勝坂遺跡」は、縄文時代中期前半頃(約...

相模原の街道

 はじめに 相模原の「道」に焦点を絞ってみました。調べると、相模原から各地に繋がる道は、太古の昔からあったことがわかります。 大山道 丹沢山地の東に位置する大山は、山岳信仰として修験者の行場でもあった。大山に雲がかかっていると雨が降りやすい...

陸軍士官学校 臨時東京第3陸軍病院 など

 陸軍士官学校  昭和12年10月、旧日本陸軍士官学校の陸上部門が市ヶ谷から座間に1300名もの生徒が移転してきた。(航空部門は所沢に移転) 昭和12年12月の第50期生卒業式に昭和天皇陛下が行幸され、この時、この地を「相武台」と命名された...

相模原でも生産された風船爆弾

 風船爆弾は登戸陸軍研究所で開発された。全部を相模原で生産した訳ではなく、日本全国津々浦々で生産され、東京は日本劇場、東京宝塚劇場、有楽座、浅草国際劇場、両国国技館など天井が高い演劇場でも女子挺身隊などにより生産された。 和紙をコンニャク糊...

相模陸軍造兵廠と相模陸軍造兵廠長

 相模陸軍造兵廠 昭和13年8月13日開所式。昭和15年6月1日に相模兵器製造所から相模陸軍造兵廠に昇格した。 太平洋戦争時、旧帝国陸軍造兵廠は東京第一・東京第二・相模・名古屋・大阪・仁川・南満の7箇所にあった。 その中の1つが相模陸軍造兵...

相模原 軍都計画

 相模原には現在アメリカ軍施設などがありますが、そのアメリカ軍施設がなぜできたのかを辿ると、太平洋戦争前に相模原を「軍都」とすべく計画があったことがわかります。 「星が丘」という地名は陸軍徽章の★に由来するとされ、戦前は陸軍の高官が1戸建て...

横濱鉄道(横浜鉄道)の開通 【JR横浜線】

相模原には現在JR横浜線・相模線、小田急線、京王線の各鉄道が通り、市民の足となっていますが、その昔、市内には更に電車ができるはずでした。そんな幻の鉄道を中心にご紹介致します。 横浜鉄道の開通横浜在住で貿易商人だった原善三郎が1894年に鉄道...

幻に終わった相模原の鉄道 「相武電気鉄道」

2つの鉄道敷設出願横濱鉄道(現在の横浜線)が東神奈川~八王子間で開通するなど、明治時代に入り、東京や神奈川各地に鉄道網が敷かれ、鉄道の利便性がわかった相模原の人々は、自分たちの村にも鉄道を引こうと考えました。明治40年(1907年) 橋本駅...